その77 視れども見えず。

弊社・大起エンゼルヘルプの訪問入浴では、5種類の入浴車(訪問入浴の設備を搭載した車両)を使っております。
先日機会あってその5種類をイラストに描き起こしました。

なるほど一口に自動車とはいってもけっこう違う形をしているものですね。バン・軽・4ドア5ドア・・・違うからにはそれぞれ役割があるのでしょうが、不肖ワタクシ今までとんと気にしておりませんでした。ううむ、観察力が足りぬ。
左様に、毎日見ていてもまったく覚えていない、というより実際は「見ていない」・・・これは枚挙に暇がありません。

例えば信号を渡って、コンビニで買い物をしたとして。

1・信号機の色を左から順に言うと?

2・五千円札の裏は何が描いてあった?

3・コンビニ「セブンイレブン」看板の文字を思い出せる?

この3つに即答できたら変人です(苦笑)。
全て毎日見るものですがこんなことは気にする必要が無い、何度見ても覚えません。
「心ここにあらざれば視れども見えず」です。

そもそも人間の観察力には、偏りがあるように感じます。知識か興味、いずれかある場合は誰もが非常な目利きを発揮しますが、それ以外ではあり得ない見落としもする。「なんにでもよく気がつく人」が理想でしょうが、現実にはまずお目にかかれません。

ある先輩は洋服の素材に詳しく、化繊はこう羽毛はこう洗うのだと詳しく教えてくれました。しかし彼女はカメムシとカナブンの区別がつきませんでした。

ある先輩は一度見た顔を忘れぬ能力を誇っており、アイドル48人の見分けがつくと豪語しておりました。ほとんどエスパーです。しかしその彼もマガモとカルガモの見分けがつきません。

介護では利用者さんの様子を良く見て、問題を発見し医療や行政につなげる・・・のが職員の役目、と教わりました。
興味をもってよく見ること、何が問題なのか勉強すること。これらはもちろん大事な仕事ですが、同時に「自分の観察力はアテにならん上に偏っておる」と正しく理解するのも大事だなwと思います。偏りをなくすことはできません。
かのヨハネス・ケプラーだって天文学に熱中するあまり、空ばかり見て足元のドブにはまりましたw。でもそうでなければ独自の視点は生まれないでしょうね。

自分が気がつかないことにも仲間が気づいてくれるし、何回かに一回はその逆もあるかも知れません。

ちょっと偏っているくらいがちょうどいいのでしょうね。

(追記)
例の答えは
1・青、黄、赤
2・カキツバタの花
3・「7ELEVEn」最後のエヌは小文字です。
また最近は「SEVEN&i HOLDINGS」の表記も増えています。

最後にもうひとつ。

5千円札を見ているときも、信号を見ているときも、コンビニの看板を見ているときも、共通して見えているものがあります。
それはなんでしょうか?

もちろんこの文章を読んでいる今この時、にも見えていますよ。

※栄養士部会1月分は都合により延期されました、後日またレポートいたします。