その34 それは想像の外だった
実家の母は現在、訪問介護サービスを利用しています。離れて暮らす私のところへ、先日、担当のケアマネージャーさんが電話を下さいました。
「お母様が、自転車でコンビニに行ったとおっしゃるのですが…」
母は長距離の歩行が困難で、クルマの運転もできなくなりました。それで買い物の支援を受け始めたのに、その母が自転車とは?とても考えられません。
しかしケアマネさんが言うには母はふだん嘘をいったり、記憶違いなどもほとんどない。実際、職員さんがいない間にコンビニで買った商品を見せてもらった。ちょっと驚いたのでご報告、とのことでした。
さて、難問です。
「歩行が困難な人がひとりで自転車でコンビニまで行った」こんなことって、ホントにあるでしょうか?
(コンビニまでは往復約500メートル、坂のない広い車道。信号が一つあり。手ぶらで歩けるのは100メートルほどです)
…結論から言うと「ホント」でした。正確に言えば、ウソではないというところです。
その後同居している姉に注意して見てもらったところ、ナゾが解けました。
「母さん、自転車をシルバーカー代わりに押して歩いてるわ!」
…参りました。確かに実家の自転車はマンガに描いた後輪が二つあるタイプで、押し歩き可能です。しかし普通…やらないでしょうw。「自転車で行った」といえば十人は十人乗って行ったと思うでしょう。しかし押していったのも確かに「自転車で行った」で、ウソはどこにもありません。
逆に言うと、自転車は「乗るもの」と決めていた私の頭がカタかった。「押すもの」でもあれば「座るもの」でもある。
自分だって高いところを触るときは椅子の上に「立ち」ますが、それと同じですね。
しかし…人間、ホントにいろんなことを思いつくもんですね。人によって場合によって「最善手」は違いますが、不利だからこそ「普通しないだろう」という手を編み出す。先走って記憶力の心配をしていた私は、将棋で逆王手を食らった気分です…。
後日私はケアマネさんにことの詳細を伝えながら、(経験豊富なケアマネさんの斜め上を行くとは、母もまだまだやるもんだな…)と妙な満足感に浸っておりましたw。
(追記)
以後なんでもそうですが、特に「車輪のついたもの」を見ると本来の用途以外に何か使い道はないか考えるようになってしまいました。
そろばんでスケートしたり回転椅子でキックボードしたりして、怒られた学生時代を思い出します(みんなやりましたよね…?)。