その181 「ウラジロ」という言葉。

先日、ある作家さんのエッセイを読んでおりましたら文中に「裏白」という言葉がしきりと出てきました。どうやら「チラシの裏が白い紙」を指すようです。その本は1995年の発売、特に説明はなかったことから約30年前までは普通に通じた言葉だったようですが…。最近めったに聞きませんね。「裏白」。

筆者はグループホームに勤めているとき、ある入居者Aさんがよく「裏白は取っておいてね!」「切って、メモ書きに使えるんだから」と仰っているのを聞きました。
筆者の勤めたグループホームでは新聞を朝夕刊ともとっていて、チラシも入っておりました。古新聞やチラシをお掃除用、メモ書き用など適度な大きさに切って取っておく作業を「新聞折り」と言い、入居者さんとお喋りしながらできる楽しい時間でした。
さてお話の流れからチラシの裏が白いものだろうとわかりますが、筆者は「ウラジロ」はAさん独特の略し方だと勝手に思い込んでおりました(;^_^A。…一般的な言葉遣いだったんですね。これは不明の至り。

しかしまあ、そもそも「チラシ」自体がだいぶ減っている時代でもあります。だいたい新聞の購読者が減っております。

新聞の販売数は日本新聞協会によりますと2000年に53,708,831部。それが2022年には30,846,631部にまで減少しております。わかりやすく1世帯当たりの部数にしますと、2000年が1.13部。一家に一紙くらいは新聞を取っていた計算です。2022年では0.53部。新聞を取っている家は2件に1件くらい、ということですね。実際には、情報が必要な職業などで取る人は一家で何紙も取りますし、公共施設やホテルなどにも配っていますから一般家庭の割合はもっと少なく、3,4件に1件くらいではないでしょうか。

ではチラシ、スーパーの特売情報とか各種お知らせはどうなっているのかというと最近はやはりこれもネットのようです。

各スーパーが専用のアプリを発信していて、そのアプリに毎日チラシが届くんですね。面白いことにチラシのレイアウトは昔から変わりませんwやっぱりあの賑やかな、ごちゃごちゃした造りでないと感じが出ないんでしょうか。…しかし正直言って、スマホの小さな画面ではだいぶ見にくいなあ、という気もします。老眼の方、高齢者の方はチラシ自体を目にする機会が減っているのではないでしょうかね。

さらに当然ですが画像データには「裏」がありません。裏白という言葉どころか、そのうち「昔は広告が紙でポストに入ってたんだよ」と説明しなければならない時代になるかもしれませんねえ。

またその利用法も、買い物に紙のメモ書きを持っていくことが少なくなりました。買い忘れがないかはすぐメールで家人に聞けばいいもので、記憶力も低下しているかもしれません…(;^_^A。

そうそう、手書きのメモといえば。
グループホームではなるべく入居者さんに買い物メモを書いてもらっていました。文字を書くのも大事な脳のリハビリなのです。

すると、多くの方がカタカナでメモを書かれるんですね。例えば醤油を「ショーユ」と書かれる。まあ醤油は文字が難しいから分かりますが、お肉を「オニク」とも書かれる。うーむ、やはり記憶力や文字を書く能力の衰えなのかなあ…と思っていたのですが。

冒頭にあげた本には、「昔の女性はわざと漢字を使わずカナで文字を書く習慣があった」と書いてありました。当方、これも目からウロコです。
(たとえば年賀状でも新年「御祝い」と書くところを、わざわざ「オイワヒ」と書いたそうで…面白いのが歴史的仮名遣いだと「オイハヒ」が正しいのですが、「イハヒ」では「位牌」に通じる、お祝いにそぐわないということでその時だけ「オイワヒ」と書くそうです)
こういうことも知っておかないと、なんでもかんでも「認知症が進んでるから」「脳の機能の衰え」と勘違いしてしまいますね。非常に失礼な事でした。

そういえば我が実家の祖母も「12ジ、デンワアリ」とかよくメモ書きしておりましたが、アレも祖母の個人的なクセかと思っておりました。クセじゃなくてたしなみだったんですね。いつごろから「女性はカナを使う」のが廃れてきたのでしょう。当然、現代の男女平等の視点からは奇妙に見えますが…調べてみると面白いかもしれません。

ことほど左様に、「裏白」という言葉ひとつから色んな情報が飛び出してきます。チラシ、新聞の推移、広告の変遷、文字の書き方…いずれもうっかりすると見過ごしてしまうような小さな変化ですが。こうしていつの間にか世の中変わっていってるのですね。

ひさびさに文字でメモ書きして、買い物に行きたくなりました。

(余談)
この情報が載っていた本というのは直木賞作家で古本屋さんでもある、出久根達郎さんの『四十きょろきょろ』(中公文庫)です。著者の出久根さんは1944(昭和19年)のお生まれ。…が、驚いたことにその幼少時代にはお家に電気がなく、それどころか水道、いや井戸もなかったそうです。幼い出久根さんはランプの煤を取るのが仕事。お母様は坂の下まで井戸を借りに行き、重い水桶を天秤棒で担いで登っておられたとか。

遠い昔の話じゃない、約7,80年前のことです。たとえばいま介護施設に入られる方の小さいころくらいですね。

時代の変遷の「スピード感」って、捉えにくいですね。