その07 さて、これからですね。
3月1日の最高裁判決、皆さんお聞きになりましたでしょうか。
8年前におこった「JR東海列車事故」の判決です。
ざっとおさらいしますと「認知症の男性が一人で外出中、駅のホームから線路に入ってしまい人身事故がおきた」ことによる、賠償問題の民事裁判でした。
監督責任(認知症の人の家族がしっかり見守っていたか)が裁判の争点でしたが、
駅の安全管理も問題に挙げられ、一審、二審と判決が変化していき最高裁判決が注目されていました。
(不肖私も判決直前、コラムを書きました。中央法規出版様運営の「けあサポ」に載っております、よかったらどうぞ。)
結論から言えば、最高裁判決では家族の責任はなし。一審判決を真逆に翻したことになります。
一審は家族の監督責任を追及して約720万円の賠償。二審は駅にも安全管理の責任があるとして約360万円の賠償…そして今回の最高裁判決。判決が段々と「認知症の家族寄り」になっていったことが伺えます。
もちろん事故はケースバイケースですし、認知症イコール責任なし、ではありません。ですが判決が変化してきた理由には、やはり8年間の時が「認知症」を世に知らしめ社会の考えが変ってきた…のが大きな原因のひとつだと思われます。
私は8年前、「認知症」という言葉も知りませんでした。ですのでこの事故のニュースを聞いたときも「うわあ、大変だなあ」としか思いませんでした。それから父親が認知症になり、認知症が映画になり、テレビラジオでよく聞く言葉となり、自分自身も介護職になり…。認知症は自分の問題であり、社会の問題なんだなあとようやくわかってきました。
さて、これからですね。
認知症の人、その家族の現状を汲んだ判決がでて、「じゃあ周りはどうしたらいいか、認知症の人はどうしたらなるべく普通に生活できるか」を考えるのはこれからです。
8年前より認知症の理解が広まって今日に至りますが、さらに8年後には認知症をとりまく環境はどうなっているでしょうね。個人的な理想は、花粉症くらい当たり前になっててくれたらいいなと思うのですが…。
(追記)
それにしても判決文というのはどうしてああも悪文なのでしょうか。1ページくらい「。」がつかずに「・・・で、・・・だが、それは・・・であって、しかるに・・・」と続きます。反語の反語の反語の反語で一体何が言いたいのか、文章をさかさまに追わなければ訳がわかりません。さきのコラムのためシブシブ読んだのですが、もうコリゴリです(笑)。