その163 「自然」を感じる?

介護施設では利用者さんを施設に閉じ込めないよう、外出の機会を設けているところがほとんどです。

なぜ体の弱った方がたがわざわざ外出をするのか?筆者は介護職員になりたてのころ、「外出」の意味についてこう教わりました。

・体力を維持するため
・孤立せず、地域と繋がるため
・買い物などで商品を手に取り選び、脳に刺激を与えるため
・お金の計算やお店での会話を通して、認知機能のリハビリをするため
・外の空気、自然の四季を感じるため
…などなど、です。
(詳しくはもっとたくさん教わったのですがw大雑把に言うと。)

おおむねよくわかる理由ですが、介護職員になりたてのころ筆者はこの最後の「自然の四季」というのが正直ピンときませんでした。

「自然」とか「四季」とかいうあいまいなもの、いくらでも普通に感じているものがまさか「脳のリハビリに役立つ」ほどたいそうなモノとは当時思えなかったのです。

お読みの皆様はどうでしょうか、「ああ自然の四季を感じるなあ」という瞬間、おありでしょうか。またそれが「脳にいい刺激」になっているという実感、おありでしょうか?

「ある」と堂々とお答えになった方は、きっと人生経験の長い、センパイがたではないかと拝察いたします。なぜなら当方、歳をとるごとに「自然ほど変化の激しいものはない」との実感を深めているからです。20代より30代、そして40代…自然観は深まるばかりです。

周りの同年代を見ていても、歳を経るにつれみんなゆっくりと「自然に敏感」になっていくように感じます。
そういうものなのでしょうか。

確かに小学生が「四季の移り変わりは…」などと言っていたらこれは変テコ(笑)で、子供のころはそんな地味なことには興味はなくて。次々と移り変わる新しい刺激、勉強だけでなく遊びや流行から、新知識を蓄える時期でしょう。

自分は昭和55年生まれのいわゆる「ファミコン世代」。ゲーム機の進化とともに大人になってきました。ファミコン、スーパーファミコン、プレイステーション、それも2,3と新型が…どんどん進化、発展していくものに若者は目が行きますね。

そしてそういう若いころは、季節と言ってもせいぜい「コンビニにおでん(あるいは肉まんのケース)が出てきた」くらいしか感じていない…自分はそうでした(^^;)。

しかし一部の人を除いて、だんだんとそういう「最新」を追いかけることに興味が薄れてくるようです。自分はこのごろどんな最新機器を見ても「スゴイ、けど…」「以前もそんなのあったような…」と感じてしまいます。まあ、人間が古くなってきたw証拠でしょう。

世の最新ニュースを見ても、流行であれ遊びであれ、いや政治の話題ですら「また同じようなことを…」と感じてしまいます。それが悪いニュースだと、感覚もマヒしてきますね。

これを感覚の鈍化、老化というならそうなのでしょうが、そのかわり敏感になる感覚もあるもので、それが「自然」に対する感覚ではないでしょうか。

私事でスミマセンが、この夏は庭にトマトを植えました。ほんの小さな苗で、初めは雨が降ったら心配するくらいか細いものでしたが。それがみるみる手に負えないくらい大きくなり、8月はトマトを腐らせぬよう奮闘せねばなりませんでした。知っている限りの料理をし、それでも余って新レシピを検索し…。

それが、9月になったらピタっと収穫が止まり。青々とした葉っぱは黄色く穴が開き、太かった茎もしなびていき…。それを目の前にして「自然というのはなんて変化が激しいんだろう!」とため息のでる思いです。
(トマトだけでなく、シソとツルムラサキとパクチーでも同じ思いをいたしましたw)

ただこうなると来年の夏がもう今から楽しみではあります。またあの勇ましいまでの繁殖ぶりをぜひ見たいものです。

きっと、歳を多くとった方はそういう「めぐる季節の楽しみ」がたくさんあるんじゃないかと想像します。またあの桜が見たい、つくしを採りたい、スイカが食べたい、紅葉が見たい…植物だけじゃなくて、あの蝶々が見たい、鳥が見たい…などなど。これはなぜかニュースと違って「毎年同じようなこと」なのに「毎年嬉しい」ものです。なぜでしょう…(^^;)?

筆者も今から自然を感じて、これ以上感覚がマヒせぬようw頑張りたいと思います。