その164 他人なだけで意味がある

筆者の知り合いに理学療法士のYさんという方があり、地方で訪問リハビリのお仕事をされています。そのYさんがお母様の介護のことで悩んでいる…そんなお話が聞こえてまいりました。

個人的な事情なので詳細は避けますが、お母様が病気により歩行、階段の上り下りなどに支障が出てきた。いろいろと面倒を見るのですが、どうもお母様が息子(Yさん)のいうことを聞いてくれない…のが困る、そうです。

当方、不謹慎ながら笑ってしまったのですが、ある時などお母様から「なぜ専門家でもないおまえ(息子・Yさん)のいうことを聞かなきゃいけないの!」と言い返されてしまったとか…(^^;)…。
(いうまでもなく理学療法士であるYさんは歩行・リハビリ専門家中の専門家、でありますw)

このYさん、勉強熱心な方でケアマネージャーの資格もお持ちなのですが…やはり、最寄りの地域包括支援センターに赴き、他人の力も借りることにしたそうです。…いやはや、Yさんはケアプランも作れる、リハビリはプロ中のプロなのに、ご家族を見るとは本当に難しいものですね…(^^;)…いやホントに笑い事じゃありませんが。

ことほど左様に、知識や技術だけでなく「人情として」他人のほうがいい、ということが介護にはあるようです。

筆者が務めていたグループホームにも、入居者さんのご家族が来られることがありました。大抵、ホーム長や先輩職員さんが対応していましたが、会話の中で「ええ、ご家族だと難しいですね…」とか、「むしろ、他人のほうが角が立たないで…」などと聞こえてきたものでした。

これは介護をする方、される方、両方に言えることではないでしょうかね。

「老いては子に従え」などとは言いますが、やはり「オシメから面倒見ていた自分の子供に、今になって素直に従う」というのは心情的には難しいでしょう。また弱い自分を見せたくない、心配をかけたくないなどの親心が強めな態度に出てしまうかもしれません。家庭の事情もそれぞれでしょうし…。

また介護する方でも、それが自分の親だと思えば弱った姿にショックも受けますし。親の為だと思えばこそまた強い言葉が出てしまうのかもしれません。仕事で疲れて帰った家庭でのお話ですから、なおさらです。

本当に家族というのは、難しいですね。

いっぽう、筆者が介護職員として働き始めたときは、やはり「家族でもないのに四六時中そばにいる、トイレやお風呂にまでついていく」という状況は心理的に抵抗がありました。正直、「利用者さんもイヤだろうな…」と思い、初めは特に遠慮がちな弱気な態度になっておりました。「他人」である自分がいきなり「他人」である利用者さんの生活に深くかかわっていくのですから、戸惑うのも当然です。

ただよく考えると、これはやっぱり「他人」だからできるのだろうな、とも思います。これが自宅介護だったら自分の親に対して、介護施設のように責任感を持って、言葉も気を付けて、安全に配慮して…そんなことを無休、かつ無給でいつまでもできるものでしょうか。うーん、介護職員がこんなこと言ってはいけないかもですが、自分は正直ムリです。…潰れてしまいます。

介護は「家族だけで見る」から「地域で包括的に支援する」にどんどん変わってきておりますが、「他人」をうまく挟んで心理的にも円滑にしていく効果があるのかも知れません。

「家族」と「他人」…それぞれにしかできないことがあるのでしょうね。

(追記の余談)
筆者が介護職員になって半年くらいだったか、介護の難しさや責任の大きさなどに悩み始め、先輩に「自分にこの仕事ができるのか、心配になってきた」とこぼしたことがあります。
そのとき先輩は「知識や技術はまだまだこれから勉強するんだけど、まずなにより」と前置きしたうえで、

「他人にしかできないことがあるんだよ」

と言われたのを特に印象深く覚えております。