その47 ウバステヤマ?

 

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介護施設で問題が起こると、ニュースでよく使われる決まり文句に「まるで、現代の姥捨て山だ」というのがありますね。

そう聞くと、有名映画「楢山節考」のような凄惨なイメージが浮かび、「そんなひどいことを…」と考えがちですが。

実際のところ、そんな「山」がどこかにあったのでしょうか。

そもそも昔話「姥捨て山」はどうだったでしょうか?

60を過ぎた老人は山に捨てよ、とお触れがでる。
ある男が母親を捨てるにしのびず家に匿っていた。
ある日お殿様が難題に頭を悩ませ、男に無理を言いつける(灰で縄をなえ、など多数)。困った男は母親に知恵を借りその難題を解く。
お殿様がほめると、男は「実は捨てろといわれた母のおかげです」と正直に白状する。
お殿様は「わかった、以後、老人を捨てることまかりならん」…。

だいたい以上のようなあらすじですね。要するに「年よりは大事にせよ」という話で、訓話、説話の部類です。

こういう民間伝承にヒントを得た作家が明治以降に作ったのが『楢山』などの「作品」であり、史実ではありません(実際は逆で、食べられないとき捨てられるのは子供でした)。

おもしろいことに「姥捨て」は世界中に似たような話(類話)があります。中国、ロシア、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカにもあるそうです。違うのは「殿様のだす難題」部分で、ここにお国柄が出ますw。遊牧民族の国では「そっくりな羊が2頭いるが、どっちが若いか」林業の国では「同じ木から作った2本の柱、どっちが根っこのほうか」などなど。オチは一緒です。

なので世界中、今も昔も「姥捨て山」が存在したことはないようです。…ので、「現代の姥捨て山」という言い方は、どうなんでしょう?どうも、イメージ先行の言葉使いに思えますね。

最後に私の好きな短い昔話。

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ロシアの物語ですが、これも世界中に類話があるそうです。日本ではソリの部分が「もっこ」になります。

(追記)
姥捨てのモデルとされる『遠野物語』の「デンデラ」。年寄りを小屋に集めて共同生活を送らせる…というもの。これも調べてみると山でもなく捨てたわけでもなく、昼は村に来て働き(ハカダチ)、作物やお金を持って帰り、夜は小屋に帰り(ハカアガリ)年寄り同士で助け合って生きていたそうです。若者や村の人たちもかなり頻繁に出入りし、世話もしていたようです。

…それは、社会参加ができる「老人ホーム」なんじゃないの?と思うのですが…。

参考資料
『世界の民話カタログ』講談社
『遠野物語』小学館