その130 「同じ人間として」がムズカシイ(._.) 

介護職員になりたての頃、ことに筆者はグループホームに配属でしたので「認知症だからって、色眼鏡で見ないこと」を強く申し渡されました。
いわく、「認知症のAさん」ではなく、「Aさんという一人の人間がまずあって、今は認知症を患っている」と理解せよ、とのことでした。

正直言って、これは全くの介護シロートであった筆者にはレベルの高すぎる指導で(笑)…まず「認知症」を全く知らなかったのですから、お話になりません。利用者さんについても、顔と名前を覚えるのがやっとの状態で、その性格や言動もまだまだこれからというところでした。

やや時間が経過して(半年くらいでしょうか)、やっと初めの「認知症だからという色眼鏡はいけない」の意味が解ってきました。認知症だからといって、みんなが同じ状態ではない。原因疾患による医学的な症状の違いがもちろんまず最初にあって。次に、高齢者共通の身体の弱りにも程度の違いがあって。さらに、生活歴による個々人のココロの違いがあって…。

うーむ、こりゃなかなか大変だぞ(^_^;)と思った…いや、今も思っているのですが…。

介護では相手のことを「よく知る」「よく見る」「話せないことは察する」などとポンポン言われるのですが、これは非常に難しいといつも思います。大体、一緒に住んでる家族の気持ちすら完璧にはわからないのに…年齢も、性別も、出身地も、健康状態も、なにもかも違うひとたちですから。
共通項といえばそれこそ「同じ人間」であることくらい。
くくりが広すぎます(^_^;)

少し話は変わりますが(._.)

去年、視覚障害を持つ訪問リハビリの理学療法士、Yさんと知り合いました。

Yさんは学生時代の部活の事故で一時目に異常をきたし、のちだいぶ回復したものの今も「弱視」といわれる障害をお持ちです。ただそれ以外は同年代の男性ということもあり、非常に気軽にお話を聞かせてもらっています。

このあいだ聞いて非常に面白かったのは、テレビゲームの話。

同年代(80年代生まれ)なので、学生時代はテレビゲームが大流行。盲学校の宿舎におられた学生時代、Yさんたちもゲームがしてみたい、でも画面は見えない…。
こういう話なら、非常に共感して聞けます(笑)
そんな視覚障害の学生寮で人気があったのは『ストリートファイター』などの格闘ゲームだったそうです(^^)

つまりあの手のゲームは効果音がばっちり入っていて、技の名前なども叫んでくれるw攻撃が当たったら音でわかる(ヒジョウによくわかります)当たった!と思ったら攻め続け、当たった音がしない?と思ったら防御するwけっこういい勝負になったそうです。
Yさんいわく「目隠ししても格闘ゲームならなんとかできる」ははあ、なるほどなあと思いました。
また「画面が見えなくても格闘ゲームは楽しいらしい」という事実に同時に驚きました。

逆に言えば、いくら大人気でも視覚障害者にとって『ドラゴンクエスト』は楽しめないわけです。文字が読めなければストーリーもわからないし、「たたかう」も「にげる」も選びようがありません。
(それでも宿舎にはさらなる剛の者(全盲)がいて、ある程度目の見える後輩になんと「画面のテクストを読み上げさせて」ドラクエをプレイしたツワモノもいたそうです。さすがに学校で伝説になったそうですが…(^_^;)

誤解を恐れずに言えば、非常に「オモシロイ」お話です。

事実そういう視点から新たな商品ができていくのでしょうね。セリフが入ったゲーム、音声入力のデバイス、触ってわかるコントローラー、などなど…。

相手の身になって、相手のしたいことを察して…は、その意味では介護に限ったことではないと思われます。

雑談ではありますが血の通った、Yさんのゲーム話。

意外とこういうところから、「同じ人間として」障害への偏見は解けていくのではなかろうか…などと愚考いたしました次第です(^_^;)

(追記)
視覚障害とゲームと言えば、やはりこの作品が有名なようです。

これ以降、目立った障碍者でもできるのゲームというのは聞きませんが…この分野、もっと発展していいと思います。