「言葉」がもつパワー(力)

こんにちは。

先日、荒川ケアセンター(訪問介護)内の職員さん同士の会話を聴いていて、素敵だなぁと感じる場面がありました。

 

ヘルパーAさんが戻ってくると、事務所にいたヘルパーBさんがAさんにこう言いました。

「メモに書いておいたんだけど、〇〇さん(ご利用者)に□□の件を伝えてくれた?」

すると、どうやらそのメモに気が付いていなかった様子のヘルパーAさんは、

「えっ?メモ?」

「ごめんなさい、メモがあること自体に気が付かなったから…」

皆さんがヘルパーBさんであったら、この後、何のどのように伝えますか?

ヘルパーBさんはすかさず、次のように話されました。

「そっかぁ、確かにあの位置に貼ったメモじゃ、見落としちゃうよね」「ごめんね、メモじゃなくて、私がヘルパーAさんに直接連絡するか、申し送り事項の所にちゃんと記載するべきだったね」と。

すると、ヘルパーAさんは、

「あ~ここにメモ貼ってあったんですね」「ごめんなさい、私がケア前に見ていれば…」「今朝、慌てて利用者宅に向かったから気が付けなかったんだと思います」「次からは、落ち着いて確認するようにしますね」

一見、何でもないようなやりとりに見えますが、僕が素敵だなぁと感じたのは、「他責」ではなく「自責」から物事を考え発信しているところ。

「自責」ときくと、自分にだけ否と責任があるという意味で捉えがちですが、そうではなく、この出来事に対して、自分に足りなかったことはないか?他に自分が出来る事は無かったか?という思考。

その思考から繰り出された言動は、誰かを責める内容とは違うため、言われたヘルパーAさんも同じように自責の思考を生み出し、双方ともに起こり得た事の「反省」と繰り返さない為の「手立て」の発想となっていることがわかります。

もし、ヘルパーBさんが、「何で、ちゃんと見てくれなかったの」「あ~じゃあ、この後電話しておくから、もういいよ」

なんて言ったとしたらどうなったでしょう。きっと、ヘルパーAさんは「次から気をつけよう」という思考ではなく、「もっとわかりやすい所にメモを貼ってくれないと気づけないよ」「いま利用者に電話するなら、はじめから自分で電話すれば良いのに」

といった「他責」の展開となりそうですよね。これは、”より良く”からは掛け離れ、お互いが不満をもって終わってしまいそうですよね。

そんなやりとりが何だかとても嬉しく、帰り際(夜勤明け)にヘルパーA・Bさんに僕の嬉しい気持ちを伝えたところ、「特に意識して使った言動ではないけど、確かにそうかもね」「自分たちの会話で、誰かが嬉しいって思われていたなんて、それこそ私たちも嬉しいわ(喜)」「何だか、失敗したのに、気持ちが前を向いた感じがする」と笑顔で次のお宅に向かわれました。

なんでもかんでも「自責」が大切!とは言いませんが、「自責」には前進していける「パワー」があるように感じた、1日の始まりでした。

 

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